真面目で気が弱いダメ男"あの人”のブログ

否定的な人、非正規雇用で15年が「自己」に目覚めるまで

連日のように飲み歩いていて急に不安になった

日常生活で不平不満を言わないために、ここで吐き出す。マイナスなことばかり。
プラスの報告ができるまで。前向きに生きたい。
なるべく被害妄想はしない。
なるべくダラダラ書かない。泣かない。



今の自分達を周りから見れば、ただ行く宛もなくさまようショボい男だ。目的もなく、出会いも無く。フラフラと飲み歩いて散財し、朝には何にも残っていない。そもそもこんな所にあるわけがないんだけど。

では、何故こんな所をさまよっているのだろう?
面倒くさいから?都心や盛り場に出る自信がないから?まだどこかで偶然天使と出会えるとでも思っているから?おそらく、その全てだろうな。


恋人や家庭を持っている人が、大切な人と同じ方向を見つめ過ごしている時間に、自分達はどこに辿り着くでもない感情を燻らせている。

『あいつはもう居ない』


「二人で来れたらどれだけ楽しかっただろう・・・」そんなことばかり思う。行きたい所、やりたい事、ひとりでは出来ないことばかり。


交際中は連れ添うことを、少し鬱陶しくも感じていた事もあったけど、彼女が居たらこれからも予定がたくさんあって、喧嘩して仲直りして、喜んで悲しんで、二人寄り添って、目まぐるしく月日が流れて行っただろう。心が寂しいと思うことはなかっただろうな。


どうしてこんなに切ないのかというと、「捨てられた感」が強いからなのではないかと思った。喧嘩をするのも、なかなか素直に信じられないのも、相手が自分を捨てないか試していたんだろう。揺さぶってふるいにかけていた。

結果として「捨てられた」とも捉えられるが、『捨てさせた』もしくは、『そう仕向けた』と捉えるのが自然だろう。

性格の不一致で済ませるのは簡単だ。
一人が嫌なら、今の自分が嫌なら変わらなきゃ。


こうして無意味な時間を過ごしている間にも、彼女は素敵な時間をどこかで誰かと過ごしているのかと思うと、心が苦しくなる。
それでなくても、普段から彼女は大きな会社で日々素晴らしい仕事をこなしてる。誰もが羨む生活。誰にも文句を言われない、わかりやすい社会的地位がある。

では、自分には何がある?
胸を張って他人に見せるものがあるだろうか?
社会的な物でなくてもいい、ピュアだとか、とびきり優しいとか、他人から絶大な評価を得られる魅力があるだろうか?愛される要素があるだろうか?追いかけている夢や目標があるだろうか?

自分には何もない。
そこに弁論の余地はない。

自分のことを簡単に説明しろと言われたら困ってしまう。自分には何も無い。
出身大学が無い、学生時代に力を入れた事どころか学生時代が無い。専門性が無い。経験が無い。金が無い。もうそんなに若くない。



妥協したらダメだ。
本当にやりたいことをする。
それに向かって生きる。

今の生き方をしていたのでは何も起こらない。
誰もお前のことなど知らず、興味も無いままだぞ。

そんなのは嫌だ。

がんばれ自分。
がんばれ。