混じれない研修も2日目が終わった
今日は外部から講師がきて、比較的に中身のある研修だった。実演を交えて、印象をコントロールするテクニックやアウトプットの仕方を学んだ。
少しクセのある講師だったので、はじめの内はすこし嫌な感じがしたけど、場をコントロールするためのマウンティングだったのかもしれない。ヘラヘラしてる人は何を考えているのかわからないから怖い。
参加メンバーは固定なので、コミュニケーションを取る量も増えてきたけれど、どんよりとしたその雰囲気には自分の心も暗くなる。
研修に参加していると、目的もなく家で過ごしているより気持ちが安定していられるが、どうしても息抜きに「飲み」や「遊び」に行きたくなる。
その度に、誘う相手が居ないことと、彼女に会いたい気持ちで胸がいっぱいになる。
寂しさはきっと消えない。
エージェントによる就業前研修
エージェントによる就業前の事前研修に参加してきた。土日で鬼のように詰め込まれた大学の講義とグループワークと発表があったので、拍子抜けするぐらい中身が薄かった。
大学では19歳から60歳、専門学校生から役員まで混在して授業に参加していて、かなり刺激的であった。それと比べてしまうと、就業前研修に参加している人は全員が無職であり、何かしら人と変わった不思議な特徴を持ってる。決してポジティブには感じられない何かを持ち、モチベーションも低いその姿を見ていると、自分は居場所を間違えてしまった気がする。
実際、そこで見られる求人の給与は想像できる最低限なものだ。
まだやれるんじゃないかなー、と思ってしまう。
よくわからないけど、明日も頑張ろう。
もう会えもしないのに、逢いたい期に入ってしまった話
会いたい会いたい会いたい会いたい!
何をしてても頭の中は彼女のことでいっばいで、見事なまでの「逢いたい期」に入ってしまった…。もう何も手につかなくて、シラフで1人なんかじゃ居られない。自分がまともじゃないのはわかってるけど、どうしようもない。諦められないんだよ…。
みんなどうして、そんな簡単に諦められるのだろう?どうして、大好きな人が離れていくのを黙って見ていられるんだろう?
もし、愛する家族が重度の病気だと診断されても、同じように黙って、何もせずに受け入れられますか?ただ、苦しみながら死ぬのを見ていられるの?
わかんない。
俺には全然わかんない。
会いたい…つらい
やりきっても行く宛の無い帰り道
今日は大学。はじめての講義にずいぶんと疲弊した。割り振られた仲間達と協力して課題に挑み、個人的な課題でも、なかなか良い結果を出せたと思う。
自分が実際に働いてきた現場や、経験上では必然とされてきた知識がテキストに載っていて、講義として改めて聞くことになると、嬉しいものだ。自分は間違っていないどころか、かなり正しく鋭い観察力を持っていたんだと誇らしくなる。
10時間を超える講義を終え、どこかに帰り、誰かに話したい!と思っても、どこにも誰にも宛がなかった。彼女という存在の大きさを知り、今まで本当に頼って救われていたんだなと思う。
今さらだけど。
いつからか、大人になるに連れて繋がりは薄く広がり、孤独になってしまったな。
だから皆、そうなる前に結婚するのだろうか。
ただ、さびしい。
チェスター・ベニントン死す
彼に何があったのかわからないけど、辛い時、苦しい時、誰かが傍にいて、耳を傾けてあげる事の重要性を改めて感じた。
みんな他人に無関心だし、自分のことばかり考えすぎてるよ。
どこで働けばいいのだろうか迷いに迷う
内定を貰ってから「年収」「職種」「立地」「企業名」など、いろーーーーんな事が気になってきてしまい、『果たしてこのまま就職してしまっていいのだろうか?』と自問自答して不安になる。
そもそも何がやりたいのか、と。
どこで働きたいのか、と。
なに言ってんだ俺は。
駄々っ子ババア
我が家の母親だけなのかもしれないけど、気分が高揚すると"悪ノリ"をはじめる。
ワザと困らせるようなことをしたり、ワガママを言ったり、言葉遊びのような皮肉を言ったり。高らかに感情論でねじ伏せようとしたり。
外で食事をしている時なんかは、店員にめちゃくちゃな要望を言う。注文を取りにきたウェイターを散々待たせた挙げ句、やっと注文したかと思えば「まだ持ってこないのか」と愚痴を言い始める。いわゆる"モンスター系"なのだと思う。
今日は家族で食事会。いつになっても増えない家族を見て、悲しく寂しく思う。彼女が居たら、もう少しみんな明るく楽しく過ごせたかな、、と思うと心が締め付けられるような気分になる。でも、やっぱりこんな親と一緒に居させたくないとも思う。
自分ではコントロールできない、『人を嫌な気分にさせる遺伝子』みたいなのがあるのかもしれない。
そして、それが自分の中にもあるのかもしれないと思うと、結婚したり子供を産んだりするのが恐ろしく思う。やだなぁ。